回顧録2

小学生の時の記憶。

私はド田舎に住んでいたので、学校まで歩いて片道4.5キロくらいあった。小学生の足で8時15分までに学校に着こうと思うと、6時45分に家を出なければならなかった。

近所の2年生と5年生のお姉さんに連れられ、ほぼ毎日(時々寝坊した時はバスに乗っていた。バスは7時15分に出れば間に合う。)歩いて学校に行っていた。

田舎の道で、山のふもとの細い歩道を、田んぼや沢をいくつも超えながら毎日通った。

春は、野イチゴを探しながら、夏は蛇に気を付けながら、秋は彼岸花を摘みながら、冬はひたすら凍えながら歩いた。

体力的にはきつかったけど、このころの経験で、私は長距離歩くことに何の抵抗もない大人になったんだと思う。

普通の人ならまず歩かない距離も普通に歩いてしまう。

歩くことはメンタルを整えるうえでも有効なことだったんだと、分かる。

今は都市部に住んでいるので、一人で誰にも目撃されずただ自然を楽しみながら黙々と歩けていたあの頃が少し懐かしい。

 

さて、1年生、2年生のころは、まだぎりぎり3年生の終り頃までは、幸せな時代だったと思う。

世界がありのままの自分を受け入れてくれている、ということを疑いもしなかった、幸せな子供時代だった。

 

でも、3年生の終りごろから、暗雲が垂れ込め始めた。

たぶん、大人と同等の認知を得始めてきたのがそのくらいの年齢だったのだろう。

話は変わるが、私の母は、たぶん(診断はされていないらしいが)発達障害だと思われ、普通の人にはない特性のある人だった。

被害者意識が強く、自分をコントロールできないところがある。

母の生い立ちや嫁ぎ先での扱いを考えると、もしかしたら後天的におかしくなったのかもしれないが、ともかく、普通に子育てができる普通の母親のメンタリティではなかったのだと思う。

3年生の夏休みぐらいから、妹と私がほぼ毎日、母から殴られるようになった。

殴られる原因は、「宿題がまだ終わっていない」とか、いつもささいなことだったと思う。往復ビンタをされるとき、甲の爪や指輪で頬を引っかかれ、傷がつくことがあった。髪を掴まれて畳の上を引きずられることもあった。

公文式を3教科毎日宿題をしないと、怒られた。

そして、近所に引っ越してきた転校生の美少女、まいちゃんより私の公文式の進度がだいぶ遅れていることが、母の怒りの種でもあったようだ。

まいちゃんが来るまでは、近所には男の子しかおらず、比べられることもなかったが、母はママ友の間でバカにされることが怖いのか、しきりに勉強をさせようと厳しく接してくるようになった。

 

私は、勉強ができないわけではなかったが、性格がぼんやりしていて、のんびり構えているところがあり、何より競争が苦手だったので、あの子よりいい点を取りなさいと言われても、理解ができていなかったと思う。

小学校低学年までの記憶は、こんな感じ。

このくらいの年齢の時、「ほかの人たちは人生楽しそうでいいな~」と思うことがよくあった。

それは、親に虐待されているから、というよりも、自分のものの考え方や世界の捉え方が少し他の人と違って、そのために自分が人よりいつも心に重石を乗せられたような気分で生きていかなければならない、と薄々悟った、というニュアンスだ。

そしてその予感は、めちゃくちゃ的中してしまっていたんだと、今になって思う。