少女革命ウテナ考(1)

この作品については、すでにいろいろと語り尽くされていると思う。

なので、私は、一番私が何度このアニメを観ても気になっている点に的を絞って書いていこうと思う。

その気になっている点(というか不思議に思う点)は、「なぜ樹璃さんほどの人が枝織みたいなごく普通の女にあれほどまでに執着できるんだろうか?」ということ。

これは、何度観ても本当にナゾだった。

瑠果先輩のようなフェンシングめっさ強イケメンはその辺のモブみたいなへのへのもへじ扱いである一方、同性が嫌いそうな女の典型の枝織にはジャッジ甘々のあの崇拝・・・?

 

枝織に対する樹璃さんの接し方は、本当に「崇拝」に近いような、プラトニックな感じであって、いわゆる恋愛感情とも違ってそうなので、「要するに樹璃さんてレズなんじゃないか」などと簡単に片付けることもできない。

 

しかも、他の人たちに接するときの樹璃さんは、優秀で面倒見の良い常識的な人なので、この枝織関係のナゾな挙動だけが、余計浮いて見えてしまう。

 

うっすらと感じていたのは、樹璃さんは、ウテナの上位置換的な存在なんだろうな~ということ。

樹璃さんは、ウテナより意識的に実際的に王子様たらんとしている。

ウテナは「泣いている(いじめられている)女の子を助けるのが王子様」という「概念(イメージ)」で王子様やっている感がある(イメージという弱い根拠に立脚する分、時々ブレたり(終盤近くの回、暁夫さんの術中にはまって普通の女になり下がりかけたり)する)が、樹璃さんは「枝織専属王子様」であって、対象が明確化している分、王子様としての輪郭が血肉になっているからかもしれない。

 

最近、さいとうちほ先生が生徒会メンバーのその後を描く作品集を描いてくださっていて、その短編の内容も加味してやっと、少し理解に近づいたのかもしれないと思う。

その短編は、アニメで描かれたウテナの世界に何も余計な不純物を持ち込まず、ただ手足を伸ばしただけみたいな自然さで描かれたアフターストーリーであり、勘のいい人ならアニメの時点で推理できていたであろう範囲で深堀されているに過ぎないのだけれど、おつむの弱い私の理解を助けてくれた。

 

<短編で得た新情報>(ネタバレ嫌な方はスルーでよろしくお願いします)

 

アニメを観る限り、樹璃さんはあまりに完璧なので、元からまぶしく美しくめっさ強い人気者だったと思いこんでいたんだが、

中学時代、まだ樹璃さんが普通に女子生徒の制服を着ていたころは誰にも顧みられない一般的な少女で、まるで姫扱いで周りにかしづかれてちやほやされていたのは枝織のほうだった。(枝織は意外にも、かなりいい家のお嬢らしい)

枝織が、想いを寄せる婚約者である瑠果を指して発した「フェンシング強い人好き」発言を真に受けた樹璃少女は、憧れの枝織の視界に入りたい一心で努力を重ね、あのアニメでのひたすらまぶしい男装の麗人になるに至った。

 

アニメでは、中学時代の話はちらっと出てくるだけだったし、アホな私は「縦巻きじゃない樹璃さんもくそかわいいな♡」くらいの印象しかなかったので、短編で詳細が分かって目からうろこだった。

 

<枝織の立場で観る「少女革命ウテナ」>

※あくまで私の想像です↓

 

(中学時代)

・私はお姫様。きれいな服を着てみんなに可愛がられてるの。

・かっこよくてフェンシングめっさ強い婚約者との約束された将来。人生薔薇色ね。

か~ら~の~

(高校時代)

・婚約者と同じ競技で目立ってる美人が婚約者の心をさらってしまった。(晴天の霹靂)

・その美人は学園中の人気者。家柄だけでちやほやされていた私とは違って、実力で今の地位を勝ち取った。レベチな婚約者にお似合いのレベチで二人しかわからない世界に行ってしまう気がする。

・瑠果の心を奪っておいて、ソイツは瑠果からの好意を何とも思っていない様子で、なぜか私にばかり優しくしてくる。この状況で友達ヅラされて嬉しいとでも?

・ペンダントの中の写真が瑠果ならまだ分かる。でも、なんで私なの?全く意味が分からない。樹璃さんが私を好き?そんなのあり得ない。きっと何かの間違いで、内心二人で私のことを笑っているんでしょ?

 

という状況だったのではないか・・・?(※あくまで推測だが。)

だとすると、アニメでのあの枝織の樹璃さんに対する厳しい言動もわからんでもない。

 

ということで、短編によって、枝織への見方がかなり変わったところがある。

 

そして、樹璃さんはかなり純度濃くこじれまくった純粋培養種だと改めて思った。

 

樹璃さんは、枝織という個人自体を愛しているわけではなく、枝織という存在の役割が示すもの(純粋な概念)を愛しているのではないか?

そして、それは同時に、等身大の枝織自身に対しては「否定」を突き付けることになったのではないか?

否定しながら愛すことという二律背反を無意識にやってのけ、

肉体性、個別性から乖離した、存在の「概念」への愛(崇拝)によって高潔さをリアルタイムで更新し続ける

樹璃さんが真に求めていたのは「行動としての王子様」であるところの自分だけだったのかもしれない。

 

この点については、また記事を分けて改めて深掘りしたいが、ちょっと普通では想像できないレベルの純粋培養だ。

 

ある意味、樹璃さんはこの作中で一番尖ったデュエリストといえるのではないだろうか。