回顧録3

さて、小学校時代の続き。

4年生くらいにもなると、私はもう学校でもいっぱしに浮き始めてきた。

私は、男女の隔たりなく、わいわい遊ぶのが好きなタイプだったのだが、4年生にもなると、女子は男子をもう異性として見ているようで、子供時代を引きずっている私が男子と普通に話そうものなら、「○○君のことが好きなの?」とか噂を立てられるようになり、私は女子にも話が合う子がいなくなって、次第に孤立していった。

 

行間休みや昼休み、グループになって仲良くしている女子の輪に、入ることができず、そんな自分をみじめに思って、泣けてくることがよくあった。

いじめられたり、仲間外れにされているわけではないけれど、それでもみんなについていけないことがストレスだった。

でも、家に帰るとまた母の監視地獄、わけもわからず乱高下する母の気分次第の暴力に怯える態勢なので、正直学校の方がマシだった。

そんな日々の中で、唯一楽しかったのがピアノ教室だった。

ピアノの先生のお庭が立派で、そのお庭では、ふだん男子の前でかまととぶってる同級生たちも、男子の目がないからか童心にかえって昔のように一緒に泥だらけになって遊んでくれたからだ。

 

でも、4年生の秋、母が「田舎のピアノ教室では駄目だ」と言って、レベルの高いピアノ教室に移ることになった。

私は、5歳くらいのころから絶対音感があったようで、人の会話をピアノで再現できたという(覚えていない)

そのピアノ教室に移ってからが、また私の子供時代の本格的な終わりだったと思う。

その先生は、とても良い先生で、人格者だったが、ピアノには厳しく、何よりも、みんなと遊ぶ時間が奪われたことで、私は本当に元気のない子供になってしまった。

しかし、そのピアノ教室に移ってすぐに試しに出たコンクールでなぜか入賞してしまったことで、さらにスパルタに磨きがかかった。

私はピアノのレッスン日が近づくにつれ元気がなくなる一週間を繰り返すようになった。

そのころから、母が殴る理由に公文の宿題の他に、ピアノが追加された。

 

4年生の頃は、そんな風に激動だったが、さらに、父母が勤めていた会社の社長である祖父が急病で亡くなり、お葬式や会社のゴタゴタで家と祖父母の家を行ったり来たりする事態も生じた。

会社の整理が終わるまで、私と妹は祖母の家に預けられたので、妹たちと毎日お経を唱える夏休みだった。般若心経などをまだ暗記しているのはそのころの影響だと思う。

 

母は姑との仲が悪く、家ではいつも悪口を聞かされていた祖母だが、孫の私から見ればとても優しく面倒見の良い、文化的かつ大らかな理想のおばあちゃんだった。

祖母は現在もまだ存命で、一番好きな親類だと思う。

 

そんなこんなで激動の4年生を終え、5年生に上がる4月に、引っ越しと転向を経験した。

会社の住居スペースに住んでいたが、父が会社を継ぐようになり、会社に住んではいよいよプライベートがなくなると思ったのだろう。少し会社から離れたマンモス校に転校することとなった。

4年生まで学年1クラスしかなく、全校でも100人いなかった田舎の学校から、いきなり1学年2クラス、しかも1クラス50人というマンモス校に転校した衝撃は大きかった。

5年生になる頃には、私はもう今の私に出来上がってしまっていた。

つまり、友達づきあいをハナからあきらめ、一人で木登りしたり読書したりする一匹狼になった。

幸い、学校の先生は「転校したからなじめないのだろう」と解釈してくれ、私の性格の欠陥とまではみなさなかった。

それでも、女子グループにあぶれた女の子が一時的に独りにならないために私にかまってきたりしてきて、それがとてもストレスだった。(しかし、相手は、一人でかわいそうな子を親切で相手にしてあげている、と思っているみたいだった。)

5年生になると、ピアノの先生が、他の子といっしょにソルフェージュをさせるようになってきた。今度は、お医者さんの娘さんで、とてもピアノが上手く、ものすごい美少女の薫子ちゃんという子と比べられるようになった。

なぜ大人はすぐ比べたがるのだろう、と不思議でしょうがなかった。

ピアノの上手い下手で、人格の良しあしまで決まるわけではないはずなのに、ピアノ教室ではいつも下手とこき下ろされ、人格まで否定されたような恥じ入り方をしなければならない自分がみじめになって、いつもレッスンで泣いていたのを覚えている。

でも、薫子ちゃんのことは好きだった。とても良い子で、本当に育ちがいいとはこうゆうことか、といつも感銘を受けていた。

そういう素直な憧れを表現してたんだけど、先生には「彼女に負けるな」と言われるのが本当に謎だったし、競争心が持てない自分を恥と思わなければならないことも、悲しかったのを覚えている。そもそもピアノで勝ち負けってどう判断するのかもわからなかった。

ピアノも、こんな私の性格を表すように、複雑なロマン派はからっきしダメで、モーツアルトだけ褒められていた。単純な脳みそだったということか。(モーツアルトをけなしているわけではない)